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インスリン発見されるまでのいきさつ

2021.9.15  

佐々木 嵩 医師

インスリンは1921721日にカナダ人フレデリック・バンチング(29歳)とチャールズ・ベスト(19歳 医学生)二人の根気強い努力によって見つけられました。バンチングは整形外科医師で全く糖尿病には関係のない人です。そのバンチングが糖尿病に興味を抱くには3つの理由が推測されます。

1はバンチング家の隣に住んでいたのはバンチングと同じ14歳のジエーンがいて、二人とも仲良しでともに勉強し遊ぶの一緒でした。そのジエーンがある日突然にのどが渇き、やたらと食べる水を飲むようになります。しかも徐々にやせてきました。1,2か月して動けなくなりました。往診した医者は「糖尿病」と診断しましたが、治療の手だてがなく亡くなりました。今ならT型糖尿病と診断し、直ちにインスリン注射を始めたでしょう。この様子を聞いたバンチングも       ショックだったと思います。

2のきっかけはバンチングが医者となりウエスタン大学の講義に「膵臓の解剖と生理」の講義を頼まれたことです。その前夜に参考資料として読んだものに「外科学、産婦人科学」の医学雑誌がありました。その中の論文に「膵臓結石症と深い関係を持つ糖尿病の膵ランゲルハンス島の関与について」の標題にバンチングは引き寄せられました。つまり膵石が膵臓内の消化液管を防いでいても糖尿病にはならないという説を証明する論文で膵島細胞(ランゲルハンス島)が傷んだ時に糖尿病になるという論文です。バンチングはこの論文にどういうわけか執着しました。

第3のきっかけはトロント大学に世界的に有名な「糖代謝を研究」している生理学教授ジョン・G・Rマクロウドがいることでした。

バンチングは最初トロント大学芸術学部に入学して好きな絵をかいて生活をしていきたいと考えていました。入学試験に失敗し仕方なく入学試験のない医学部を選びました。医学部を卒業しイギリス外科医協会のメンバーとなり、世界第1次大戦のカナダ野戦病院に配属されました。彼はそこで多くの臨床体験をして人並みの外科医となりました。1920年6月カナダ、オンタリオ州で開業医となりました。

しかし彼の開業は芳しくなくウエスタン大学で外科と解剖学の実習をしていました。丁度その頃ウエスタン大学生理学教授ミラーと知り合いとなり、実験助手として仕事をしていましたそこでミラー教授の紹介をもらいトロント大学のジョン・マクロウド教授を訪ねることとなりました(1,920118日)。

マクロウド教授はバンチングの話をきいて、これまでに多くの研究者がこのテーマの研究にたづさわってきているがかなり難しい問題点があることをはなした

そして医学生チャーリ・ベストを実験助手とすること、犬10匹まで使用許可する、1921年の夏休みまでに済ますことを条件としました。

その後の実験経過は悪戦苦闘が続き、多くの研究者のアドバイスもらいながら研究を続けていきました。血糖値を下げる膵抽出物はバンチングとベスト自身の体に注射し確認していきました。その次に動物は勿論、子供や大人の患者にも投与して確認をとりました。このような研究成果から、192311月にバンチングとマクロウドはノーベル賞をもらいました

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