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北海道における糖尿病の歴史

2022.4.23

佐々木 嵩 医師

 かねてから、糖尿病の本を書きたいと思ってその時期を考えていました。

2017年6月アメリカ サンデイエゴで開催されたアメリカ糖尿病学会で発表をする機会がありました。 そこでその発表がひと段落した帰りの飛行機の中で、国内国外の糖尿病学会の参加は打ち切ることを決意しました。そこでかねてからの念願である、“本作り”に専念することを考えました。これまでに学会発表、論文書きは数えきれないほどやってきましたが、本を仕上げるのは初めてのことで皆目見当がつきませんでした。題名だけはかねてから心に秘めていました。

  「北海道における糖尿病の歴史」はこれまでに書かれた書物はなく、日本では初めてのテーマと思います。しかし開道150年たち、昔の資料、史料が極めて少ないことが分りました。その理由の第一に「糖尿病」の病名ができたのは明治40年(日本内科学会総会)です。それ以前は糖尿病の薬もなく、のどが渇く、身体がだるい、手足のしびれ感の症状に合せて生薬、漢方薬を投与していました。1型糖尿病は1,2年で亡くなっていたようです。

その辺の事情を確認するにも史料がありません.文章を書き始めるまえの資料、史料集めだけに3、4か月掛かかったかと思います。

  史料,資料を集めるには北海道は勿論全国の図書館に依頼して資料を集めます。北海道開拓使庁の島義勇判官は佐賀県の人で北海道行政の立役者、札幌を作った人です。大きな島判官の立像が札幌市庁舎(屋内)と北海道神宮手前(屋外)にあります。

当時の病気は外傷、花柳病、害虫によるもの、植物に侵されるもの、伝染病など人体内からのものではなく自然界から引き起こされた病気です。文明開化が入って現代病が起こり始めます。その中の一つとして糖尿病の記録が明治26年1月に関場不治彦の密尿病の発表で報告されています。

一方で「糖尿病」を北海道で初めて使ったひとは海外留学から東京大学へ函館病院に着任した瀬尾雄三と思われます(明治43年3月)。当時の病院の暖房はストーブでまかなわれており、4回の函館大火で記録簿は一切灰になりました生活が近代化になって病気も癌、糖尿病、胃潰瘍、脳心血管疾患などの現代病がおこり始めています。

  この度「北海道における糖尿病の歴史」を創作、出版することになりました。北海道で発病する糖尿病が特別の病状経過をとるとか特別な治療を必要とするという話ではありません。本書を読むことにより、少しでも糖尿病療養のコツを学び、気持ちを一新して新しい療養生活を始めて頂くことを希望いたします。

尚、この本の発売は41「ジュンク堂書店」、「紀伊国屋書店」の医学書コーナーで販売しております。

買う前に立ち読みしたい方は、病院事務窓口に申し出て下さい。

 

   

 

 

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